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SAMMY’s blog

好きなものこそが人生を彩る!

年始に考える家族

お正月は島根に帰省。

足腰の弱くなったおばあちゃんが

終始心配であった。

初詣もたくさん歩くのは嫌だ、

と躊躇していた。

物忘れもちょくちょくで

私が島根に帰ってきたのは

今日だったか昨日だったか

定かではなかったりする。

近年少しずつ感じていた老い、を

ここへ来てぐっと強く感じてしまった。

それでもおばあちゃんの作るお味噌汁も

黒豆の煮たのも美味しくて

削ぎ落としても削ぎ落としても

おばあちゃんの守りたいものがそこにある気がした。

元旦にはみんなでおせち食べた。

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1/3が誕生日のおじいちゃんに
ブックカバーをプレゼント。
囲碁に熱心なおじいちゃんは

分厚い囲碁の教本を持ち歩いている。

500ページものその教本も無事カバーできて
持ち歩いてもらえそう。

 

新年会という名目で

学生時代のバイト先の皆様方と飲んだりもした。

7人中5人が既婚かつ子持ち(出産予定含)

残り2人が婚約中という

最近の若者らしくない状況。

結婚だってするし

子供だって持つし

家だって買う。

みんな背負うことを厭わない感じが

清々しかった。

そしてそれらのためにちゃんと稼いでいる。

 

きっと愛された記憶のある人は

誰かを愛さずにいられないのだなあ

色んな家族があると思うけど

少なくとも最近会った人たちは

そういう家族の中にいた。

そして私もきっとその中にいる。

がんばりましょう

2017年の目標は、

仕事を頑張る。

 

今まで最低限の仕事しかしたくなかった。

他の仕事がいい。

天職を見つけたい。

今の仕事はつまらないし興味がない。

このまま40年近くも働きたくない。

とかとか、散々思ってきました。

 

でも、そういう自分に飽きた。

ちょっと客観的に見てみたら

私、損してるなー

って思った。

やり方次第でもっと楽しく過ごせるのに、

それを拒絶して

毎日つまんない顔して

あほやん

てな具合ですよ。

 

今までのだらだらがバネ代わりになったのか

頑張ってみよう、

と思えてきた。

仕事頑張りながらでも

遊べるし

好きなことできる。

 

さて、がんばります。

思い出す

1〜3歳のころ、

父母の仕事中、私の面倒を見てくれていたご家族がいた。

そのお父さんが12月に亡くなった。

帰省するなり、そのお宅へ向かった。

片道車で2時間。

25年ぶりくらい。

断片的に覚えている記憶もあり、

その村に突入し見覚えのある赤い橋を見たとき

懐かしくてドキドキした。

断片的にしか記憶のないもどかしさもあった。

私と母の記憶を辿ってそのお宅を探す。

途中、私たち家族が3人で暮らしていた家を発見。

私が認識していたより随分小さかった。

今の私と同じ歳の母が父と

小さな子を育てながら働いていたのだな。

きっと幸せな記憶がこの家にはたくさんあるのだろう。

私にはその記憶が残っていないことが

悔しくて悲しい。

 

昔住んでた家が見つかった後はもう早かった。

そのお宅は変わらずに在った。

緩やかな坂を登った突きあたり。

左角の赤い屋根の家。

3台車が停まっていて

子供用の自転車も停まっていた。

ごめんください、

ガラガラと引き戸を開けると

聞き覚えのある声がした。

まあまあいらっしゃい、

全然久しぶりじゃないみたいな言い方で

笑顔のぞかせるお母さんは

全然変わっていなかった。

少しだけ、記憶よりも小さく思えた。

 

お父さんの遺影もお骨もそこにあった。

思い出話は楽しいばかりだった。

お父さんの病状も最後の様子も

全部笑い混じりのストーリーだった。

お母さんもその家のお兄ちゃんもお姉ちゃんも

みんなすっかり逞しく普段の笑顔だった。

お兄ちゃんの子供達が走り回っていて

とても賑やかだった。

なのになぜかわたしは涙が止まらない。

もう一度、話したかったな

どこを切り取っても幸福でしかないその時代の話を

もうお父さんとはできないことが悔やまれて。

 

冷凍されていた、

お父さんが夏に釣った鮎を頂いた。

わたしは食べ物の中で鮎の塩焼きが最も好き。

それは小さい頃にここで味を覚えたから。

こんなの、涙なしには食べられない。

というか一生食べられないのでは。

はあ、幸せな記憶ばかりでつらいなあ

 

見栄っ張り

見栄っ張りである。

ドジなとこは見られたくないし

なるべく綺麗に見られたいし

頭悪いと思われたくない。

かたはらいたい感覚がこの上なく嫌いだし

注意されたり指摘されたり

自分のダメなところを突きつけられると

ぷいっと逃げたくなる。

本当の私はそんなんじゃない。

全部分かってたけど

タイミングが、、、

あの人がああ言ったから、、、

そんな風に考えたくなってしまう。

言われたことを受け入れたくなくて

受け入れるほどの器がなくて

適当に誰かに吐き出したり

ツイッターやブログに吐き出したりしてきた。

でも、

そういう態度こそ見苦しいな

って思った。

もう一人の自分が見てると思って

本当にかっこいい言動を目指す。

かに地獄で天国

愛すべき同期とかに地獄@新橋

2016年の仕事の話、旅行の話、

楽しかったことなどなど語り

美味しいカニもハマグリもリーズナブルに食し

帰りにはイルミネーションも満月も見れた。

久々涙が出るほど笑った。

利害関係のない楽しい仲間こそが最高だ。

二人の仕事も私生活も

今後順風満帆に行くことを切に願う。

クッキングレベルが低い

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彼作パエリア。

私のクッキングレベルの遥か上を行く彼は

クッキングレベル小学生並みの私の料理の

残念な点に気づくことも多い。

 

ブリしゃぶの準備をしていて

深谷ねぎを普通の鍋に入れるみたいに

ななめに切って煮た。

野菜も一緒に煮た。

あとはブリだけしゃぶしゃぶすればよいように。

でも彼は

ねぎは長く切って欲しかった。

野菜もしゃぶしゃぶしたかった。

そうなのか、美味しいねぎは長く切るのか

野菜もしゃぶしゃぶするのか。

料理について知らないことが多すぎる。

 

お店とかで見ない?

と彼は言ったけど、

多分目の付け所が私とは全然違う。

私が見てるのは

お店の内装とお皿とあとは味と雰囲気。

野菜の切り方まで見ない。

どんな調味料が入っているのかも考えない。

これはまさに

興味の有無の違いだなあ

と思う。

あの日誰がどんな服を着ていた

ということは覚えていても

あの店のあの料理はこんなものが入っていた

というのは記憶に残りにくい。

 

翌日の月曜、

お休みだった彼は合羽橋でコンロを買って

とりしゃぶを用意して

私の帰りを待ってくれていた。

ねぎの切り方の正解も見ることができた。

帰ってご飯が用意されてるのは

とっても嬉しかった。

料理は彼が作る方が断然美味しいけどせめて

帰ったら自分のために作られたご飯がある

という嬉しさだけでも提供したい。

ナチュラルとは

マツエクをやめた。

オイルクレンジングできる点がよい。

なんの躊躇もなく顔を洗える。

でもまつげが物足りなくてマスカラを購入。

眉の形も

朝、鏡に向かう度に迷っている。

夕方になると鼻がテカってくるのも悩み。

 

自分の特長を掌握したい。

個性的にかわいい人が好き。

一般的な美人ではなくても

ああ、しっくりきてる

っていう感じになっていきたいのである。

むつかしい。

しかし自分の顔の良いとこを

探してみるのも楽しい。