SAMMY’s blog

好きなものこそが人生を彩る!

はっぴーバレンタイン

昨夜袋ごと冷蔵庫にしまっておいたチョコレート

今朝、豆乳を出そうと扉を開けた彼は

「あ」

と、なぜかひとことなのに

ニヤニヤが伝わる声を出していた。

「会社に持ってくやつだよ」

「あー俺のとは限らないよね」

とかとか言って

ひとしきり茶番を繰り広げた。

 

中高生の頃は

週末に材料や可愛らしい袋なんかを買い込んで

前日は遅くまでマフィンやらクッキーやらを

せっせと作っていた。

当日は浮き足立った空気の中

女子に配り、部活のみんなに配った。

好きな人には渡したり、渡せなかったりした。

 

チョコレート食べるから

夜は洋食にしよう。赤ワインも飲もう。

私のバレンタインも変わる。

前髪で決まる

前髪を眉上4センチほどに短く切ったら

どうもスニーカーがカジュアルになりすぎる。

 

スニーカー履くならスカート

パンツ履くならパンプス

で行こうと決意した、今日。

楽なものばかり着ていると

見た目もゆるっとしがち。

クールさとエレガントさを

ちゃんと足して行きたい。

 

前髪を作っては伸ばし、を繰り返してきた。

眉ラインで揃えるとかわいらしい雰囲気になる。

面長な私はいい感じに小顔効果があって

美人度が上がる。

でも今回はモテとか度外視で

斜め短かめバングスをやりたかった。

宮崎あおいとか榮倉奈々とか紗栄子みたいに

コケティッシュな感じをやりたかった。

 

でも現実はなかなか厳しい。

不器用なお母さんに前髪切ってもらった3歳児

みたいな前髪だよ。

でもみんなが思うほど

私は失敗だとは思ってない。

味があって個性的でなかなかよい。

露出する顔の面積が広がって

私こんな顔してたんだな

って鏡見て思った。

さて、気合い入れておしゃれしよう。

いいな

いいな、と思うのは

どことなく端正な感じのする振る舞いだったり

悪者を作らないユーモアだったり

他の人が気付かない、

でも気付いて欲しかった点への鋭い指摘であったり。

 

女性で惹かれるのは

そこはかとなく自由な香りのする人だったり

太陽のような笑顔を持つ人だったり。

 

もしも来世で男の子に生まれたら

オシャレと音楽とユーモアに情熱を注ぐんだ。

年始に考える家族

お正月は島根に帰省。

足腰の弱くなったおばあちゃんが

終始心配であった。

初詣もたくさん歩くのは嫌だ、

と躊躇していた。

物忘れもちょくちょくで

私が島根に帰ってきたのは

今日だったか昨日だったか

定かではなかったりする。

近年少しずつ感じていた老い、を

ここへ来てぐっと強く感じてしまった。

それでもおばあちゃんの作るお味噌汁も

黒豆の煮たのも美味しくて

削ぎ落としても削ぎ落としても

おばあちゃんの守りたいものがそこにある気がした。

元旦にはみんなでおせち食べた。

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1/3が誕生日のおじいちゃんに
ブックカバーをプレゼント。
囲碁に熱心なおじいちゃんは

分厚い囲碁の教本を持ち歩いている。

500ページものその教本も無事カバーできて
持ち歩いてもらえそう。

 

新年会という名目で

学生時代のバイト先の皆様方と飲んだりもした。

7人中5人が既婚かつ子持ち(出産予定含)

残り2人が婚約中という

最近の若者らしくない状況。

結婚だってするし

子供だって持つし

家だって買う。

みんな背負うことを厭わない感じが

清々しかった。

そしてそれらのためにちゃんと稼いでいる。

 

きっと愛された記憶のある人は

誰かを愛さずにいられないのだなあ

色んな家族があると思うけど

少なくとも最近会った人たちは

そういう家族の中にいた。

そして私もきっとその中にいる。

がんばりましょう

2017年の目標は、

仕事を頑張る。

 

今まで最低限の仕事しかしたくなかった。

他の仕事がいい。

天職を見つけたい。

今の仕事はつまらないし興味がない。

このまま40年近くも働きたくない。

とかとか、散々思ってきました。

 

でも、そういう自分に飽きた。

ちょっと客観的に見てみたら

私、損してるなー

って思った。

やり方次第でもっと楽しく過ごせるのに、

それを拒絶して

毎日つまんない顔して

あほやん

てな具合ですよ。

 

今までのだらだらがバネ代わりになったのか

頑張ってみよう、

と思えてきた。

仕事頑張りながらでも

遊べるし

好きなことできる。

 

さて、がんばります。

思い出す

1〜3歳のころ、

父母の仕事中、私の面倒を見てくれていたご家族がいた。

そのお父さんが12月に亡くなった。

帰省するなり、そのお宅へ向かった。

片道車で2時間。

25年ぶりくらい。

断片的に覚えている記憶もあり、

その村に突入し見覚えのある赤い橋を見たとき

懐かしくてドキドキした。

断片的にしか記憶のないもどかしさもあった。

私と母の記憶を辿ってそのお宅を探す。

途中、私たち家族が3人で暮らしていた家を発見。

私が認識していたより随分小さかった。

今の私と同じ歳の母が父と

小さな子を育てながら働いていたのだな。

きっと幸せな記憶がこの家にはたくさんあるのだろう。

私にはその記憶が残っていないことが

悔しくて悲しい。

 

昔住んでた家が見つかった後はもう早かった。

そのお宅は変わらずに在った。

緩やかな坂を登った突きあたり。

左角の赤い屋根の家。

3台車が停まっていて

子供用の自転車も停まっていた。

ごめんください、

ガラガラと引き戸を開けると

聞き覚えのある声がした。

まあまあいらっしゃい、

全然久しぶりじゃないみたいな言い方で

笑顔のぞかせるお母さんは

全然変わっていなかった。

少しだけ、記憶よりも小さく思えた。

 

お父さんの遺影もお骨もそこにあった。

思い出話は楽しいばかりだった。

お父さんの病状も最後の様子も

全部笑い混じりのストーリーだった。

お母さんもその家のお兄ちゃんもお姉ちゃんも

みんなすっかり逞しく普段の笑顔だった。

お兄ちゃんの子供達が走り回っていて

とても賑やかだった。

なのになぜかわたしは涙が止まらない。

もう一度、話したかったな

どこを切り取っても幸福でしかないその時代の話を

もうお父さんとはできないことが悔やまれて。

 

冷凍されていた、

お父さんが夏に釣った鮎を頂いた。

わたしは食べ物の中で鮎の塩焼きが最も好き。

それは小さい頃にここで味を覚えたから。

こんなの、涙なしには食べられない。

というか一生食べられないのでは。

はあ、幸せな記憶ばかりでつらいなあ