SAMMY’s blog

好きなものこそが人生を彩る!

思い出す

1〜3歳のころ、

父母の仕事中、私の面倒を見てくれていたご家族がいた。

そのお父さんが12月に亡くなった。

帰省するなり、そのお宅へ向かった。

片道車で2時間。

25年ぶりくらい。

断片的に覚えている記憶もあり、

その村に突入し見覚えのある赤い橋を見たとき

懐かしくてドキドキした。

断片的にしか記憶のないもどかしさもあった。

私と母の記憶を辿ってそのお宅を探す。

途中、私たち家族が3人で暮らしていた家を発見。

私が認識していたより随分小さかった。

今の私と同じ歳の母が父と

小さな子を育てながら働いていたのだな。

きっと幸せな記憶がこの家にはたくさんあるのだろう。

私にはその記憶が残っていないことが

悔しくて悲しい。

 

昔住んでた家が見つかった後はもう早かった。

そのお宅は変わらずに在った。

緩やかな坂を登った突きあたり。

左角の赤い屋根の家。

3台車が停まっていて

子供用の自転車も停まっていた。

ごめんください、

ガラガラと引き戸を開けると

聞き覚えのある声がした。

まあまあいらっしゃい、

全然久しぶりじゃないみたいな言い方で

笑顔のぞかせるお母さんは

全然変わっていなかった。

少しだけ、記憶よりも小さく思えた。

 

お父さんの遺影もお骨もそこにあった。

思い出話は楽しいばかりだった。

お父さんの病状も最後の様子も

全部笑い混じりのストーリーだった。

お母さんもその家のお兄ちゃんもお姉ちゃんも

みんなすっかり逞しく普段の笑顔だった。

お兄ちゃんの子供達が走り回っていて

とても賑やかだった。

なのになぜかわたしは涙が止まらない。

もう一度、話したかったな

どこを切り取っても幸福でしかないその時代の話を

もうお父さんとはできないことが悔やまれて。

 

冷凍されていた、

お父さんが夏に釣った鮎を頂いた。

わたしは食べ物の中で鮎の塩焼きが最も好き。

それは小さい頃にここで味を覚えたから。

こんなの、涙なしには食べられない。

というか一生食べられないのでは。

はあ、幸せな記憶ばかりでつらいなあ